まじっく まじっかー まじっけすと?
2007年5月7日コメント (5) 僕がマジックを始めたのは中学2年の冬だったかな。そのころの趣味はポケモンカードゲーム→遊戯王カードゲームときて、アニメ観賞とア○メイト通いという、どう見てもオタクです本当にまりがとう的なものだった。中学生にもかかわらずコロコロ読んでました。そしてそこである運命的な出会いをする。そう
デュエルマスターズ
と。僕の中学は田舎で全校生徒が90人弱(!)という小規模だったため、とても仲がよかった。同学年でマジックを既にやっていたものはいなかったが、先輩たちがやっていたこともあり、学年全体(といっても男子19名)のうち半数近くが一斉に始めるという、ちょっとしたブームを巻き起こした。
コロコロで書かれていた6版のスターターとブースター2つくらい買ったと思う。引いたレアは1枚だけ強烈に覚えていて、呪われたトーテム像である。このカードは第1回デュエルマスターズ掲載時のコロコロのマジック特集記事に載っていたため、能力は全く理解できなかったが、強いカードなんだろうなぁと漠然と思っていた。
ルール間違いこそあれど、みんな間違えてるのだから全く気にならないw当然デッキは60枚を優に超える大作。取りあえず負けん気の強かった僕はデュエルマスターズの切札勝舞の使っていた赤緑のステロ(寧ろストンピィに近い)を真似ることにした。とは言ったもののカードは全然ないのだから大部分が代用である。それに限らず、色があっていて、漫画に出てくるカードは大体ぶちこんだwそんな僕が最も好きで最も長く使ったのが飛びかかるジャガーに他ならない。僕のデッキはジャガー→巨大化→針刺しスリヴァー→忍び寄るカビ(石の雨は決して使わなかった)というものだった(実際勝舞のデッキはこれにかなり近い)。甲燐のワームは神カードであったが、忍びよるカビの前ではなす術もなかった(ランドの枚数とスペルのコストが合ってないから当然)。今思うと致命的なのが、僕のデッキのタフネス5以上はアルゴスのワーム1枚だったはずなのに、燎原の火が入っていた。有利な状況でうち、負けるということも何度もやった。懐かしいw
デュエリスト・ジャパン、ゲームぎゃざは読んで読んで読みまくった。エクテンの記事とかわけがわからない記事まで読みまくった。
そしてFinals99(かな?)で友晴さんが優勝したのを見て大会を意識し始めたwどうやって出るかも知らないのにwデッキもすぐさまストンピィに変えた。残念ながらアルビノ・トロールが2枚足りなかったのでアクリディアンの虫を使った。ガイアの揺籃の地とリシャーダの港は当然なかったw
そんななか初めて大会に出たのは中学3年だった。プロフェシーのプレリリースだった。
081-03-060400-2059, Prophecy Preview Party - Japan: 2000-06-04
5 Yuuki Tezuka Loss 1608
4 Hiroki Hatanata Win 1617
3 Tsuyoshi Shimizu Loss 1608
2 Kouichirou Hayama Win 1616
1 Masashi Saitou Win 1608
腹立たしかったのは実はプロフェシーのレアが1枚足らなかったことだ。そしてそのレアはマギータに他ならない。まあ直感というやつなんだが、やめておこう。
高校に入り、マジック仲間も何人かでき、そんな友人たちと参加した大会がこれまたアポカリプスプレリリース。そして大会参加2回目で優勝できたのはラッキーだった。
081-03-060301-2089, Apocalypse Prerelease Party - Japan: 2001-06-03
3 Unknown 68949312 Win 1632
2 Unknown 78949308 Win 1624
1 Unknown 26937841 Win 1616
ちょwみんなUnknownwwwwこの時は稲妻の天使2枚、テフェリーの濠、青の師匠がいてトリコカラーなら圧勝なのに、レガシーズウエポン使いたくて5色。おまけにデッキ枚数は51枚だったwプロフェシーの時は40枚だった(ゲームぎゃざに書いてあったため)。若さとは恐ろしい。
それから今でもお世話になっているBooks長島に通いだしたのが2年の夏(1年の時は沼田)。ここの店の人たちには凄くお世話になった。バスと電車で片道2時間近くかかり、おまけにバスがないためいつも最寄の駅まで送ってもらった(今でもw)。トレードとかリミテッドとかも色々教えてくれた。楽しかったっす。オデッセイブロック構築のときだった。参加する大会がプレリリースと夏場のブロック構築だけだったのは秘密である。そしてこのころから吉澤カヲルと仲良くなる。彼と毎日空中公園(と勝手に名づけた)で毎日マジックした。アホやな
ながいので次回に続く(あればな
デュエルマスターズ
と。僕の中学は田舎で全校生徒が90人弱(!)という小規模だったため、とても仲がよかった。同学年でマジックを既にやっていたものはいなかったが、先輩たちがやっていたこともあり、学年全体(といっても男子19名)のうち半数近くが一斉に始めるという、ちょっとしたブームを巻き起こした。
コロコロで書かれていた6版のスターターとブースター2つくらい買ったと思う。引いたレアは1枚だけ強烈に覚えていて、呪われたトーテム像である。このカードは第1回デュエルマスターズ掲載時のコロコロのマジック特集記事に載っていたため、能力は全く理解できなかったが、強いカードなんだろうなぁと漠然と思っていた。
ルール間違いこそあれど、みんな間違えてるのだから全く気にならないw当然デッキは60枚を優に超える大作。取りあえず負けん気の強かった僕はデュエルマスターズの切札勝舞の使っていた赤緑のステロ(寧ろストンピィに近い)を真似ることにした。とは言ったもののカードは全然ないのだから大部分が代用である。それに限らず、色があっていて、漫画に出てくるカードは大体ぶちこんだwそんな僕が最も好きで最も長く使ったのが飛びかかるジャガーに他ならない。僕のデッキはジャガー→巨大化→針刺しスリヴァー→忍び寄るカビ(石の雨は決して使わなかった)というものだった(実際勝舞のデッキはこれにかなり近い)。甲燐のワームは神カードであったが、忍びよるカビの前ではなす術もなかった(ランドの枚数とスペルのコストが合ってないから当然)。今思うと致命的なのが、僕のデッキのタフネス5以上はアルゴスのワーム1枚だったはずなのに、燎原の火が入っていた。有利な状況でうち、負けるということも何度もやった。懐かしいw
デュエリスト・ジャパン、ゲームぎゃざは読んで読んで読みまくった。エクテンの記事とかわけがわからない記事まで読みまくった。
そしてFinals99(かな?)で友晴さんが優勝したのを見て大会を意識し始めたwどうやって出るかも知らないのにwデッキもすぐさまストンピィに変えた。残念ながらアルビノ・トロールが2枚足りなかったのでアクリディアンの虫を使った。ガイアの揺籃の地とリシャーダの港は当然なかったw
そんななか初めて大会に出たのは中学3年だった。プロフェシーのプレリリースだった。
081-03-060400-2059, Prophecy Preview Party - Japan: 2000-06-04
5 Yuuki Tezuka Loss 1608
4 Hiroki Hatanata Win 1617
3 Tsuyoshi Shimizu Loss 1608
2 Kouichirou Hayama Win 1616
1 Masashi Saitou Win 1608
腹立たしかったのは実はプロフェシーのレアが1枚足らなかったことだ。そしてそのレアはマギータに他ならない。まあ直感というやつなんだが、やめておこう。
高校に入り、マジック仲間も何人かでき、そんな友人たちと参加した大会がこれまたアポカリプスプレリリース。そして大会参加2回目で優勝できたのはラッキーだった。
081-03-060301-2089, Apocalypse Prerelease Party - Japan: 2001-06-03
3 Unknown 68949312 Win 1632
2 Unknown 78949308 Win 1624
1 Unknown 26937841 Win 1616
ちょwみんなUnknownwwwwこの時は稲妻の天使2枚、テフェリーの濠、青の師匠がいてトリコカラーなら圧勝なのに、レガシーズウエポン使いたくて5色。おまけにデッキ枚数は51枚だったwプロフェシーの時は40枚だった(ゲームぎゃざに書いてあったため)。若さとは恐ろしい。
それから今でもお世話になっているBooks長島に通いだしたのが2年の夏(1年の時は沼田)。ここの店の人たちには凄くお世話になった。バスと電車で片道2時間近くかかり、おまけにバスがないためいつも最寄の駅まで送ってもらった(今でもw)。トレードとかリミテッドとかも色々教えてくれた。楽しかったっす。オデッセイブロック構築のときだった。参加する大会がプレリリースと夏場のブロック構築だけだったのは秘密である。そしてこのころから吉澤カヲルと仲良くなる。彼と毎日空中公園(と勝手に名づけた)で毎日マジックした。アホやな
ながいので次回に続く(あればな
コメント
4,5回戦に吹いたw
その通り。よく見たらBooksの人もいたw
うのn
若さに溢れてた
その気持ちよく判るw俺も同じ事してましたw